いつも以上に机の上には山になっている書類。

  その目の前に座っているのは、無愛想でキレやすい風紀委員長。

  のはずなのだが、今座っているのは何故か学級委員長で。

  風紀委員長のクラスの学級委員長であるその女性徒は、項垂れていた。

  目の前にある無数の書類に。

  そして、ソファーでくつろぎながら様子を伺っている風紀委員長に。












    それは無理なお願いだ












  
  「ほら、さっさとサインしなよ」


  項垂れるばかりで一向に書類に手を付ける気配のない

  それに痺れを切らした雲雀が、苛立ちを露にして言った。


  「………どうして私がこんな目に合わなきゃいけないの」
  「担任にも言われたでしょ。それとももう忘れた?」
  「覚えてるわよちゃんと!書類が溜まりに溜まって困ってるんでしょ」
  「なら今更訊かないでくれる」
  「どーして関係のない私が手伝わなきゃいけないわけ!?」
  「怒鳴らないでよ。カルシウム足りてないんじゃない」


  いちいち嫌味を含んだ雲雀の言葉に、は眉を顰めさせる。

  そもそもこういう経路に至った原因というと、ほんの数十分前の会話にあった。

  普段どおり帰路につこうとしていたを担任が呼び止めたことに始まる。


  「委員長。お前確か帰宅部だったよな?」
  「はい、そうですけど…」
  「なら今から空いてないか?」
  「え?」
  「ちょっと手伝ってほしい仕事があるんだ。頼む!俺の命がかかってるんだ!!」


  断ろうと思っただったがあまりに必死の形相だったため、思わず…


  「いいですよ。その代わり、今度何かお礼下さいね」


  そう言ってしまい、しかし担任はとても喜んで快くの条件を飲んだ。

  その時の担任の様子といえば、嬉しさのあまり飛び跳ねて踊って叫んで。

  周りの生徒が怯えているのにも気付かないほど、嬉しそうにしていた。


  「先生、何がそんなに嬉しいんですか?」
  「殺されないですむからな!良かった、お前が良い奴で本当に良かった!!」


  泣いて喜ぶ担任に、は苦笑するしかなかった。

  そしてそのまま担任に連れられやって来た場所、応接室。

  ピシッと音を立てて固まるを横目で見て、担任は焦り始めた。


  「あのな、雲雀がどーしてもお前に仕事させるって言い出して……」
  「…それで命がどうとか言ってたんですね」
  「スマン!俺もアイツばかりはどうにも出来んのだ。大人しく生贄になってくれ!」
  「ちょ、その言い方やめてくださいよ!これからとって喰われるみたいな言い方!」


  ぎゃあぎゃあ騒いでいたと担任の声は、廊下の端まで響き渡っていて。

  ということはつまり、応接室の中にまで聞こえているということであり。

  溜息をつきながらドアを開けた雲雀は、耳を押さえていた。


  「うるさいんだけど…」


  その場にいた担任は、いつのまにか廊下を爆走して消えていた。

  心の中で小さく舌打ちをして、目の前で睨んでくる雲雀をジッと見つめる。

  見つめ合って数秒後、雲雀は鬱陶しそうにの腕を引いて部屋に入れた。


  「じゃ、仕事よろしく」


  その一言のみ告げて、雲雀はそのままソファーに寝転んで寝始める。

  呆然としていただったが、とりあえずイスに座って書類を眺めた。

  向こう側が見えないほど重なっている紙切れ。

  薄さはミリ単位のはずなのに、どうなったらこんなにも高くなってしまうのだろう。

  ぼんやりそんなことを考え、そして今に至るのだ。


  「カルシウム足りないって何よ!」
  「今、ボーッとしてなかった?」
  「っ………別に」


  ふぅん、とまだ納得いかないらしい適当な相槌を打って、雲雀は目を閉じた。

  どうやら本格的な眠りにつくらしい。

  それを恨めしそうに軽く睨みつけて、再度は書類の山を見て溜息をつく。


  「どうして溜めた張本人が寝て、無関係な私が処理しなきゃいけないのさ…!」


  小さく呟いたせいか、雲雀が起きる様子はなく。  

  はただただ悔しそうにソファーに転がっているのをジッと見つめた。

  面倒くさそうに書類を数秒見つめたは、ついに観念したのか一枚手に取った。

  右手の横にはご丁寧にペンが置かれていて。


  「あーもう!やりゃいいんでしょやりゃ!!」


  その声を聞いて、雲雀が静かに微笑んだのには気付けなかった。




















  「ハァ……お、終わった?」


  机の上には処理済の書類の山。

  サインし続けた右手はようやく疲れてきたのか、痺れ始めていた。

  書類の処理を始めてすでに数時間。

  慣れない仕事に手間取ったことと、急に襲ってきた眠気のせいだった。


  「雲雀の奴、結局一度も起きなかった…」


  綺麗な寝顔を見つめて、はイスから立ち上がった。

  置いてあった鞄を持って即刻応接室を後にしようとドアノブに手をかける。

  しかし次の瞬間、小さな唸り声が聞こえてきた。


  「ん、…書類終わったんだ」
  「おはよう。もう夕方どころか夜だけどね」
  「ノロマ」
  「……そんなに文句があるなら、最初から違う人に頼めば良かったじゃん!」


  ついに苛立ちは最高潮に達し、は持っていた鞄を雲雀に投げつけた。

  当然雲雀にぶつかることなくそれはトンファーによって叩き落されてしまったのだが。

  鞄が落ちた後に見えた雲雀の瞳は、もちろん普段より鋭く。


  (うっわ…怒ってる。って!私の方が怒りたいんだっつーの!!)


  「きみ、咬み殺すよ」
  「……だって、雲雀が悪いんじゃない」
  「何で?」
  「な、何でって…強制的にやらしておいて文句言うし……」
  「だから?」
  「だっだから………っ」


  立ち上がってトンファーを構える雲雀から発せられる、殺気に。

  そして何より、から逸らすことのない鋭い睨みつける瞳に。

  は圧倒されて小さく震えるしかなかった。


  「何泣きそうになってんの」
  「……っるさい!」
  「そんなに僕が怖い?」


  一歩一歩近寄ってくる雲雀を見つめるだけで、は身動きできなかった。

  足が竦んだのだ、彼の殺気で。


  「うるさいって言ってるでしょ!」
  「きみの方こそ吠えすぎてうるさい」
  「いちいち嫌味なのよ、アンタ」
  「本当にうるさいね。仕事は鈍いし、文句は多いし」
  「だから言ってるじゃん!文句あるなら私以外に頼めば良かったのにって!」


  精一杯の強がりで睨みつけても、雲雀は全く怯まず。

  それどころかとても楽しそうに、嬉しそうに小さく妖美な笑みを零した。

  綺麗過ぎてゾッとしてしまうほどの笑顔で、雲雀はに言った。


  「ダメだよ。きみ以外にやらせる気はない」
  「……意味わかんないんだけど」
  「じゃ、次回も頼むね」
  「いや勝手に話進められても困るんですけど雲雀さん」
  「断っても、それは無理なお願いだよ。だってきみはもう風紀委員だから」
  「私は学級委員長やってるのでそれこそ無理なお願いです」


  とんとんと自己完結的に話を進めていく雲雀に、は内心焦っていた。

  この調子でいけば確実に、自分は風紀委員となって仕事をまかされてしまうと。

  元々達のクラス担任は温和な方で、雲雀を大の苦手としている。

  故に、担任が雲雀に逆らえるはずもなくそしてクラスメイトも反論できるはずもなく。

  雲雀の思惑通り、事は運んでしまうだろう。


  「第一、さっき私が鈍いって文句言ってたじゃん」
  「それはそれ。これはこれ」
  「どーいう言い分それ。とにかく私は風紀委員でなく学級委員長なのでお断りします」
  「ダメ。無理。無駄な抵抗はやめなよ、ウザイから」


  小さく微笑んだ雲雀に手を握られ、は本当に動けなくなった。

  武器になるようなものはもう持っておらず、手は塞がれ足も動かず。

  絶体絶命な状況に、は青ざめて冷や汗を流した。


  「ひーばーりーさーまぁー!お願いします勘弁して下さい!」
  「無理」
  「だから、私は学級委員長だから風紀委員は無理なの!」
  「ヤダ」
  「ヤダの意味がわからん!駄々っ子かお前!他の子に頼んでみるから。ね!?」
  「じゃなきゃダメなんだって言ってるじゃん」
  「は、初耳ですが!!」


  そうだっけ、と無表情で首を傾げる雲雀には顔を赤くした。

  真っ赤になっているを見て気をよくした雲雀は、不敵に笑ってみせる。

  それは、先程まで不機嫌だったのが嘘のように綺麗な笑みで。


  「何、照れてる?」
  「ちっ違うよ!何で私が…雲雀の言葉で照れなきゃいけないの!」
  「僕の言葉に照れてる、なんて訊いてないけどね」
  「っ………」
  「随分大人しくなった。やっぱり照れてるんだ、柄にもなく」


  悔しそうに唇を噛み締めながら、赤い顔を隠すようには俯いた。

  柄にもなく、という嫌味に文句を言うと思っていた雲雀は、目を丸くさせた。

  文句どころか、恥ずかしそうに俯いて小刻みに震えてるだけのに吃驚して。

  我に返った雲雀は、その様子を嬉しそうに見つめた。


  「嬉しいのかそうでないのか、わかりづらい反応だね」
  「う、嬉しくなんか…!」
  「本当に?」


  の頬に手を添えて、雲雀は顔を限界まで近づける。

  お互いの吐息がわかるくらいに近くて、瞳も逸らせないほど緊張して。

  元々顔を赤くしていただというのに、それ以上赤くなってしまって。

  思わず、言葉にならない声を出した。


  「○@#□〜!?」
  「…クス。学校で何語習ってんの」


  珍しく楽しそうに笑う雲雀を見て、が固まってしまったその一瞬に。




  ――― ちゅ。




  小さなリップ音と共に、雲雀がの鼻先に口付ける。

  ある意味唇より恥ずかしく思えて赤くなったは、呆然としている。

  目を丸くして雲雀を見つめたまま、動く気配を見せない。


  「死んだの?」
  「……んで」
  「?」
  「何でこんなこと、するのさ…。からかってるにしても悪質すぎだよ…」
  「…別にからかってるなんて一言も言ってないけど」


  羞恥心からか、驚きからか、は薄く涙を浮かべていた。

  それに眉を顰めさせた雲雀は不満気に、唇を尖らせて言う。


  「意味わかんない。いきなり書類にサインさせて、しかも風紀委員になれなんて…」
  「なんて…イヤだった?」
  「……よくわかんないけど、雲雀の私じゃなきゃヤダって言葉は嬉しかったよ」
  「そう。で、どーする?学級委員長さん」
  「私の一任じゃ決められない。だって、平の委員じゃなくて学級委員長だから」


  の言葉に納得したのか、雲雀は顔を離した。

  雲雀が離れた事で一気に緊張が途切れたは、その場に座り込んでしまった。

  その様子を見て、雲雀はまた笑みを零す。


  「僕の方できみのコト言っておくから、平気だよ」
  「……さすが雲雀」


  確かに、誰もが恐れる雲雀が言うなら話はとんとん拍子に進むだろう。


  「これからも書類頼むからそのつもりで」
  「…ねぇ、雲雀」
  「何」
  「どうして私じゃなきゃヤダなんて言ったの?」
  「……知りたいの?」
  「気になるじゃん。今まで話したことだってなかったし、接点だってなかったのに」


  話したのが初めてなら、お互いが身近にいるのだって初めてのことで。

  は雲雀を見つめたまま返答を待った。

  少しの間無言で悩んでいるらしかった雲雀は、ソファーに座りながら言った。


  「教えない」
  「ちょ、気になるでしょ!?」
  「絶対に教えてなんかやらない」
  「雲雀!」
  「…無理なこと言わないでくれる。聞き分けは良い方が利口だと思うけど?」


  簡単には教えてくれそうにない雲雀に、は少しだけ項垂れた。

  それを横目で見た雲雀は、バツが悪そうに小さく呟いた。




  「でも、から離れろなんて言われたらそれこそ無理だけどね」




  初めて呼ばれた名前と甘い言葉に、は音を立てて赤くなる。

  雲雀は少しだけ赤くなった顔を隠すようにソファーに寝転んだ。


  「わ、私帰るね。雲雀も早く帰った方がいいよ。……ま、また明日!」


  ソファーの近くに落ちていた鞄を拾って、早々に退室しようとする

  しかし、ドアノブに手をかけた時今度はハッキリと雲雀が言った。


  「送るよ」
  「…………え?」
  「今の間はかなり失礼だったね」
  「ご、ゴメンなさい」


  起き上がって眉を顰めさせて歩み寄る雲雀に、は小さく謝罪した。

  別にいいケド、と言って雲雀はの持っていた鞄を取り上げる。

  キョトンとして目を瞬かせるを見て溜息をひとつ零し、ドアを開けた。


  「帰るんでしょ」
  「…あ、うん」


  一歩前を歩いていく雲雀に続いて、はその後ろを遠慮がちに歩いていた。

  校門を出るまでその距離は続いていて。

  今まで出一番大きな溜息をついた雲雀が、ピタッと立ち止まった。

  突然の事で、は雲雀の背中で思い切り顔を打ってしまった。


  「きゅ、急に止まらないでよ!」
  「あのさ、後ろにいられたら鬱陶しいんだけど」
  「……だって送ってもらうとか、恐れ多いし。あの雲雀 恭弥にだもん」
  「きみの中で僕がどういう位置づけされてるのかがわからない」
  「…最凶?」


  また溜息をついた雲雀は、無言でに手を差し出す。

  差し出された当の本人は意味がわからず、その手をジッと見つめる。


  「お手」
  「お手って…私は犬か!」


  ツッコミながらも手を重ねると、その手は雲雀に優しく握られる。

  その手を引かれ、自然とは雲雀の隣を歩く形になった。


  「手離して!恥ずかしいじゃん!こういうのは彼女にしてあげなさいよね!」
  「してあげてるよ、今」
  「……雲雀 恭弥さん。今って…」
  「だから、にしてあげてるでしょ」
  「……私っていつから彼女になったんですか?」
  「今から」


  淡々と返答してくる雲雀に、は軽く眩暈を覚える。


  「光栄に思いなよ、
  「……はぁーい」


  今更反論しても何も変わりはしない。

  そう悟ったは大人しく頷いて、同意する。


  (…悔しいから、ちょっと嬉しかったりするなんて絶対に言ってやらない)


  最低だった雲雀の印象は、どうやらゆっくりと上昇していっているらしい。

  この数時間のうちに、どうやらは雲雀に惹かれてしまったらしく。

  一方的に握られていた手を、少しだけ握り締めた。

  驚いた表情をしてを見つめてくる雲雀に、小さく微笑んでみせる。


  「……明日の朝、迎えに行くから」
  「…りょーかいです、雲雀風紀委員長様」
  「おちょくってる?」
  「照れてる恭弥が可愛いなぁって思ってるだけだよ」
  「っ……」


  雲雀が「恭弥」に反応したのは明白で、は満足そうに小さく笑う。

  次の日から、雲雀に彼女が出来たという噂が流れたるのは明らかだった。








  End.

  素敵な企画に参加させて頂き、ありがとうございました^^