感情を殺した危険な愛を、垣間見た。
市丸隊長に妹さんが居るのは人伝だが聞いている。兄譲りの高い霊力を持ちながらも彼女は死神にはならず、流魂街で一人、静かに暮らしているらしい。
しかし隊長本人の口からそれを聞いたこともなければ、所詮噂話の一つにすぎないそんな不確定な浮き話は、市丸ギンという人物の素性を孕み、兄妹間の関係を想像で着色され、本人の知らない位置で密やかに酒の肴にされているのだろう。
(――結局僕は、隊長の事何も知らないんだ・・・)
三番隊副隊長になって何年経ったのだろうかと考えて、数えるのをやめた。この世界は体感年月を麻痺させる。季節があるだけまだいい。春の太陽の暖かさ、夏の茹だる様な暑さ、秋の紅葉、冬の雪。それが自分以外の生命の存在の証を教えてくれるから。
だから死してもなお生きているんだと自覚できる。
昼休み。晩めの昼食を取りながら、枯れ木の並ぶ中庭を窓越しに眺める。
朝の始業とともに姿を消した隊主は、今頃三番隊に戻っただろうか・・・・。
「吉良副隊長」
「どうした?」
「四席からです。市丸隊長が戻ったと連絡がありました」
「そうか。・・・じゃあ、もうちょっとゆっくりしていよう」
「えっ・・・・い、いいんですか?」
「食後のデザートでも食べようか。美味しそうなのがさっきあったんだ」
三席の驚く顔は見ていて楽しい。堅物な大男なのに、体格に似合わず細部に気を利かせ、四席と共によく自分に尽くしてくれている。彼らが居なければ三番隊は機能しない。
市丸がいつか自分の事をそんな風に思ってくれる日が来るのだろうか。其の時に自分は傍に居る事が出来るのだろうか。
それは誰にも分からない。
「随分とごゆるりなお昼やぇ、ボクんとこの副官サンは」
「それはどうも」
襖の横で控えていた三席が体を硬直させ息を飲む音が聞こえた。
目で仕事に戻るよう合図し、場を離れるのを確認すると口を開く。
「隊長は妹さんのところへ行ってらしたのですか?」
隊主席にゆったりと背を預けていた男の表情が一瞬強張ったような気がした。驚くのは無理無いのかもしれない。僕が妹さんの事を直接聴いたのは初めてだし、ましてや妹という存在でさえも噂の範囲内であり、絶対的な確証とはいえないのだから。
――けれどこの感じであれば、噂話は噂だけではないらしい。
僕は探るのではなく、ただ、純粋な気持ちで市丸ギンという人物を知りたいと思っただけだ。
「お答えになりたくなければ、それでいいです。ぶしつけで申し訳ありませんでした」
軽く頭を下げる。返答はない。表情を窺おうと控えめに目線を上げると、座ったまま肘掛に頬杖突いた隊長の袖から覗く腕に、傷があるのを今初めて気が付いた。赤く爪で縦に引っ掻いたような痕が数個。手首に向かって短く、それの一つ一つが深くて新しい。
(あの傷の付き方は・・・・・)
「、いうねん」
「・・・は?・・・・・ああ、お名前ですね。そうですか、市丸さん。素敵なお名前ですね。きっと隊長に似ていらっしゃるんでしょう」
「あまし似てない」
「そうなんですか?よく本人同士だと似てないって云うけど、他の目からみたらそっくりというのが多いんですよ」
――あの傷は抵抗の痕と取るのが通常だ。押さえつけられた者がその腕を退けようとしてもがき、爪を立てる、その姿が目に浮かんできた。
今まで気が付かなかったが、よく見れば隊長の片頬から唇にかけて、殴られてうっ血したような微かな赤みが浮いている。朝には付いて無かった筈だ。そういえば日ごろ首によく噛み痕のようなものが付いていて、それはもう見慣れたくらいに頻繁についているから、プライベートな事と思って触れていなかった。
けれど今、こうして妹さんの事を聴くとそれに繋がって考えてしまう。
隊長に痕跡を残せる人物。
隊長に触れることが許されている人物。
「いつかお会いしてみたいですよ。きっとお綺麗なんでしょうね」
「・・・・ん。いつかな」
「楽しみにしてます。それでは僕も仕事に戻ります。何かあったら副官室に居りますので」
一礼して隊主室を出る。
隊長の妹。噂は真実だった。また機会があったら聴いてみよう。
そう思った時だった。
ドンという衝撃と共に何かが僕に打つかって来た。
「す、すみませんっ」
「え?」
「あの、急いでいて、・・・・申し訳ありません。お怪我は?」
「怪我もなにも、君のほうが大丈夫だったかい?」
死覇装ではない。声を聴く限りで会ったことの無い人物である。着物姿で走ってきたのだろう、肩で息を弾ませながら僕を見上げた顔に、記憶の中で何かが動いた。
(どこかで見たことのある・・・・ような・・・・、誰かに似ているような・・・・)
じっと見ている僕を不審に思ったのか、彼女は表情を固めて身を正した。
柔らかな髪質であろう結い上げられたその髪は誰かと同じ白銀。二重の瞼に覗く瞳は海面に沈む氷雪のごとく透明度の高い蒼で澄んでいる。整った肌の肌理は走った余韻で上気して、仄かに頬が赤い。薄く淡い桜色の口元に目が釘付けになった。
惹き込まれるような空気を持つ女だった。反面、抜け出せなくなる、そんな危うい空気も漂う。
「市丸隊長はいらっしゃいますか?」
「あ、ああ。今さっき外出から戻ったところだよ。隊長に何か?」
「直接お話がしたいもので、入室しても宜しいでしょうか・・・・」
「急ぎの様子みたいだね。後でお茶でもお持ちしましょう」
「どうぞお構いなく・・・」
僕に低く頭を下げてから、失礼しますと一声かけ彼女は隊主室の襖を開けた。
――その瞬間に腕が伸びたかと思うと、女性の姿は僕の前から消えて、何事も無かったかのように静かに襖が閉められた。
(??・・・・・)
眼をパチクリしながら何が起こったのかを考え、腕を掴まれた彼女を引き込んだのは間違いなく隊長なんだと今やっと思う事ができた。それくらいに一瞬だった。
(・・・・どうしたんだろう・・・・・気になるなあ・・・・)
してはならないとは分かっていたのだが、知ってはならないもの程、目の前にチラつかされると見たくなるもの。駄目だ、個人的な内容なのだろうから、・・・否、でも少しくらいなら、と何度も自問する。
(少しくらいなら・・・・・、ここには今僕しか居ないんだし・・・・)
ついに自らの中の誘惑に負けた僕は、気配を消して隊主室の襖にそっと耳を付けた。
中からははっきりとしないが二人の会話が聞こえてくる。
「腕の傷見せて・・・顔も・・・」
「こんなん大したことないで。それよか来る時は連絡せぇ言うたやろ。イヅルも驚いてたやんか」
「御免なさい・・・。目が覚めたらギン居なくなってて、でもシーツに血が付いてたからきっと傷そのままなんじゃないかと思って・・・・夢中で走って来たの・・・。顔だって腫れてる・・・」
「あんなに思っくそビンタされたんは久々やわ。せやけどに付けられたもんなら、ボクにとっては引っ掻き傷でも勲章やけどなァ」
「もうっ!そういう問題じゃないでしょ」
「じゃあどういう問題なん?」
襖の外で息を殺して耳をそばだてる僕の心臓の音はバクバクと五月蝿い。「もんだい」って何だ?しかもいま「」って言ってたぞ。隊長の妹さんじゃないか。おまけに隊主室の中の漂う雰囲気が妖しい様子になってきたのは気のせいであろうか・・・。
「問題は・・・・」
「問題は?。言うてみ」
「・・・・・・私にはたくさんあって、越えられない」
「お前だけが抱えようとしてるんがいつも気に食わんのや」
ボク等二人だけで十分気持ちええのに、これが誰かにとって迷惑なコトなんか?
それは・・・ッ・・・。
・・・嗚呼・・・また泣かしてもた。
どういうことなんだ?二人だけで気持ちいい???ってそれって・・・それって・・・・
顔に全身の血液が回ってきたような錯覚と、聞いてはならない秘密を聞いてしまったような居た堪れないような罪悪感と野次馬的な興味の興奮で、僕は立っているのがやっとの状態。
(副隊長)
(副隊長っ)
小声で呼ばれ裾をクイクイと引かれて、僕はうっかり声を上げそうになる。
(何だ??!!!・・・おおおおお驚いたじゃないか・・・)
こっちは今ヒヤヒヤというかドキドキで、襖一枚向こうではただならぬ濃密な空気が漂っているというのに。
(さっきの女性って隊長の妹さんですよね)
三席はニッと笑って自慢げだ。
実は隊長の妹の噂話というのが、三席から聞いたもの。
(君は過去に会ったことがあるのかい?)
(ええ、実は彼女とは院で一緒のクラスになったことがありました)
――一年も経たずに彼女は死神になる夢を諦めてしまったんです・・・。控えめな方だったんですが黙っていても目立ってしまって、だってほら、とても美しいし、市丸という苗字も伴って周りではすぐ噂になりました。しかし、もう何十年も前の話なので顔をしっかりと覚えている人物は少ないのかもしれません。雰囲気も少女の姿からあのように女性として変わられましたし・・・。
(そうだったのか・・・・)
(副隊長)
(何だ?)
(・・・・・顔が赤いですよ)
「!しっ失礼な!!僕はそんなんじゃない!!!」
(・・・声大きいです・・・)
はっとして口を押さえてももう遅い。おまけに三席の後ろには隠れるように四席が襖に耳を付けているではないか。
「こら!仕事に戻れ!!!」
(副隊長だけなんてズルイですよ。しかも盗み聞きはよくないです)
「聞いてはいたけど盗んでなんかいない!!」
狼狽する僕の横で三席はまあまあ落ち着いてと宥める。
(綺麗な方をみると、自制より好奇心で先立つのが男の性でありまして・・・)
隊主室へ続く廊下は騒がしくなった。きっと中に居る二人なんてとっくに外の状況に呆れ顔なのかもしれない。
静かな空気でさんと話していた隊長の優しげな声が今でも耳に残っている。二人だけの世界を壊してしまったきっかけを作ったのが自分だと分かると、申し訳なくてがっくりと肩を落とす。
ため息を付いた、途端に
スパーン!と小気味いい音を立てて襖が開かれ、そこには市丸隊長が仁王立ち。
三つの頭は慌てて膝を折り、額を床に打ち付けるほどに身を伏せる。
「お前ら、に惚れたらただじゃおかんからな」
その場に居た男集の背筋が凍ったのは言うまでもない。
2007/02/25
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企画「快楽主義者」様への投稿作品でございました。
*えにし/管理人みつこ